Archive for the ‘ミュージシャンと死’ Category

FEEDERのドラムHenry “Jon” Lee、ジョン・リーは、2002年1月7日、33歳の時に自殺した。
マイアミの自宅で犬用リード(金属のチェーン)を首に巻き、首つり自殺。
ミュージシャンとして成功し、スーパーモデルの妻、まだ若い息子もいた彼の死は驚きだった。

葬儀は1月18日ニューポートのSt.Mary’s教会で行われ、数千人のファン、家族や友人などに見送られた。
マネージャーMatt Pageがジョンの父親からの依頼され「Do not stand at my grave and weep」(千の風になって)を朗読、またメンバーはFeederのシングル”High”を演奏し、ヴォーカルのグラントはこう述べて、彼を偲んだ。

”彼が人生で残したこの一連の出来事は僕たちを大きな謎に包んだ。彼が張本人じゃないのかもしれない。だって彼は、静かで、繊細で、理解力があり、いつでも誰にでも優しかった。
僕はいつも感じる、荒れ狂う彼の魂の炎を。僕は彼のドラムに導かれ、彼は何も恐れることなないと僕に見せてくれた…ジョン、安らかに眠れ、永遠に若く、そしていつまでも友達だ。”

『 カート・コバーン 』

1994年4月8日、シアトルの自宅で薬物を服用の上、口にくわえたショットガンで自らの頭部を撃ち抜いて自殺しているのが発見される。警察の報告によると、死亡推定日は4月5日。

『Nevermind』の成功に葛藤 ー 元々アンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行っていたことに自身の信念を裏切ってしまったと感じていた。また、メディアの伝える自分の姿に大きな戸惑いもあった。
『In Utero』後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立っていたこと、また、少年時代から多動の症状を抑えるためにリタリンを常用していて、その副作用で起こる腹痛を抑えるためにヘロインなどの薬物中毒であった。また、鬱病により自殺未遂を繰り返していた。

遺書には「音楽を聴いたり作り出したり、何かを書いたり読んだりすることによって得られる興奮を、俺はもうずいぶんと長い間感じられずにいる。俺には誰も騙せない」とあり、ニール・ヤングの『Hey hey my my』の歌詞の一節「It’s better to burn out than to fade away(消え去るより燃え尽きる方がいい)」が引用されている。また、ステレオがつけっぱなしになっていて、R.E.M.の「Automatic For The People」が流れていた。

ちなみに彼が亡くなった27歳という年齢は、ブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリックス、ロバート・ジョンソン、ジム・モリソンや、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と同じである。